江戸末期(十四代将軍 徳川家茂の頃)本因坊 秀策という碁打ち名人がいました。
嘉永元年(1848年)に第十四世本因坊跡目となり、御城碁に出仕し、
十九戦無敗の大記録を作りました。
人柄も非常に温厚な方だったらしいです。
文久二年(1862年)江戸で、コレラが大流行しました。
秀策の周りでも、コレラに感染する者が続出。
秀策は必死に看病をします。
師匠がやめるよう言っても、聞かなかったそうです。
やはり、秀作もコレラに感染してしまいました。
享年三十四歳という若さで亡くなります。
秀策が看病した人は、全員死ななかったそうです。
亡くなったのは秀策一人でした。
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