映画を観終わった後の、渋谷散策。

青山通りの下りが金王坂。
坂名は、昭和五十四(1979)年、地元の町会によって名付けられました。
車の往来が多く、坂下は六本木通り、上は首都高が横断しています。

昔は富士見坂とも言ったらしい。
正徳三(1713)年、御嶽神社にちなんで地名が渋谷新町から渋谷宮益町に変わってから、
宮益坂になったとのことです。

宮益坂を降りきりビックカメラ横から登り坂を臨むと、それが道玄坂です。
大永四(1524)年、渋谷氏が北条氏綱に滅ぼされたとき、一族の大和田太郎道玄が
この付近に道玄庵を造ったのが由来との一説があります。
坂を上りきると、与謝野晶子が待ち構えています。

母遠(とお)うて瞳したしき西の山
相模か知らず雨雲かかる
与謝野晶子
明治三十五(1902)年四月に発行された「明星」に納められているこの歌は、
西空の果てに連なる相州の山々を眺めて、遠き故郷を思いながら
母親を懐かしんだのでした。
歌碑もあります。晶子自身の書簡による集字なので、実際に見て頂ければと思います。
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